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憲法問題とくらしを考える。

生まれて初めて選挙についてのアンケートを電話で受けました。ええー、こんなことを聞くのかと。
 だれに投票するか決めましたか。   いいえ、まだ考えていません。
 決めるときどんな問題を一番重視しますか。10個以上あったかな。
                   どれも同じくらい重視します。
                   それ以外も判断の材料にします。

 きっとどれか一つをあげる人が多いのでしょうね。

 もともと一回の選挙の投票だけで国民の意思として国政が決まってしまうことに疑問、、、なんだろう、この無理 矛盾、主権者の実際とのかい離。

 暮らしと平和、市民にとってはどちらも一番大切なこと。大切なことのどちらもわたしはひどく心配です。たいして問題ない、心配じゃない、ちっとも心配なんてしていないという人もきっと多いのでしょうが、つぶれそうな思い、重荷に伸吟している人もたくさんいるのですよね。つぶれそうな思いをしている一人の感想です。

 ネットで「北朝鮮暴発寸前でも憲法9条を守れという人達がいる」という記事がのっていました。
 百田尚樹氏と護憲派の対論とありますが、主なところは次のようなもののようです。

 改憲は平和への道か、それとも日本をあやうくするものか。

 「9条があるから、戦争は起こらない」ということを、論理を組み立てて話してもらいたい。
 「もし、他国が日本に武力攻撃してきたら、どうやって国土と国民の命を守るのですか」
    (百田氏の質問)
 これに対し護憲派の答えは
 「そうならないように努力する」
 「話し合って解決する」
 「もし、そんなことになれば、世界が黙っていない」

 「他国が武力侵攻しないということは、自衛隊が全く必要ないということになるけど、あなたは 自衛隊を無くしてしまえという主張ということで受け取っていいですか」「国防軍というのは、
 家に例えれば鍵のようなものだ」(百田氏)
 「鍵というなら、今のままで十分」(護憲派)
 「今の憲法で縛られている自衛隊では不十分、もっと丈夫な鍵にしよう」(百田氏)
 「丈夫な鍵をつけると、相手はそれを壊すために、もっと強い武器を用意する。(だから、鍵は
 弱い方がいい)」

  百田氏は呆れてそれ以上議論する気持ちをなくしたといいます。

 この要約がどれくらい実際の対話のニュアンスも含めて忠実なものかはわかりませんが、おおよ その論点は伝わりました。

 そこで私はどう考えたかです。
 軍事力はどんな時に何のために必要とされるのかということです。
 
 現実の問題に即していえば一番緊急なのは北朝鮮の脅威・暴発ということですが、北朝鮮ははじめ日本を問題の相手国とはかんがえていませんでした。日本と北朝鮮との間では緊急に解決されなければならない理不尽な拉致の問題がありますが、これは軍事力を使って解決しなければ解決しない問題ではありません。解決が政治的に利用されてきている側面は否めず、拉致問題だけを人道問題として切り離して解決することはできないのかと感じます。といっても今の状況ではさらにむずいかしくなっているかもしれません。
日本にとって北朝鮮の核開発はさらなる核拡散を認められないという点でもその通りだと思いますが、核の脅威はいったん関係が悪化すればアメリカの核も中国の核も同じです。
核兵器を抑止力として脅しに使っているのが世界の現実です。
 アメリカと一体となることによって日本は北朝鮮の攻撃の対象に、もし戦端が開かれるなら戦場になったり直接の被害を受けるのはアメリカより韓国と日本でしょう。トランプ氏は戦場はあちらで起こり、アメリカではないとも言っています。こんな発言を許してよいのだろうかと私は思います。
 事実として日本はアメリカのトランプ氏と一体になることによって、多額の軍事予算をふやして軍備を増強しています。脅威が高まり軍拡がすすめば世界的に軍産企業が活躍し儲かることは事実です。北朝鮮の問題も世界的な政治、力との関係の問題も背後にあるのかもしれないと思います。
 鍵の話が対論の中にありましたが、もっと強い鍵が必要な世界にするのか、鍵はできるだけ弱い鍵で済むようにするのか。国民の生活基盤を破壊するような軍備増強は命と暮らしを守るのではなくぎゃくにくらしの破壊につながることはいま確実だと思います。
 国の予算は限られています。
 お金のたくさんある人なら守りたいものがたくさんあって、いくらでも高価な鍵を用意することができますが、その日の食事にも事欠く貧困者なら高価な鍵を用意することはできません。貧困者は別の道を選びます。

 他国から侵攻された場合どうする? 自衛隊の位置つけについてどう考える?
 理由もなしにどこかの国が侵攻してくるなどということが今現実としてかんがえられるでしょうか。もし彼らが彼らの一方的理由でそうしたら、世界中からの非難の問題になるでしょう。またそういう世界にしていかなければならないと思います。それは武力ではない協調と共生の努力によってです。
 憲法に9条が書いてあるから戦争が起こらないという問題とは思いません。軍事力を増やすことで戦争を防げたかは過去の歴史を見ればわかることです。二度の世界大戦から敵対関係を和らげる努力が平和への力だと学んだと思います。

 自衛隊を憲法の上でどう見るか? 専守防衛、自衛の組織として現憲法の中で合憲と考えられてきました。それ以上の役割を認める9条の改正にはわたしは賛成ではないのですが、今大切なことは税の使われ方、税金の負担の仕方、経済、環境問題、教育や子育て、少子高齢化の問題など暮らしについてしっかり考えなければならないのでは思います。
 
 

 
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慰めにふたつの言葉

 雨の中を図書館に、頼んでいた本が用意できたとの知らせがあったからです。新聞の広告で見て読みたいと思ったのですが、図書館では順番待ちとのこと、文庫本が出たというので購入しようかなと迷っていたところなので出費をおさえられてよかった[わーい(嬉しい顔)]

 「新しい憲法の話」という小冊子が昭和22年8月文部省から発行されています。
 読まれたことがある人もあるかもしれませんが、憲法問題が大きな問題になり始めています。憲法を全部しっかり読んだことがないのでこれから読んでみようと思っています。
憲法の前文は私には理想です。

 以前読んだことがあるロマン・ロランの「ベートーヴェンの生涯」を引っ張り出してロマン・ロランの序文を読んでいます。

 思想もしくは力によって勝った人々を私は英雄とは呼ばない。私が英雄と呼ぶのは心によって偉大だった人々だけである。彼らの中の最大な一人、その生涯を今ここに我々が物語るその人が言ったとおりに、「私は善以外には卓越の証拠を認めない」人格が偉大でないところに偉人は無い。
偉大な芸術家も偉大な行為者もない。あるのはたださもしい愚衆のための空虚な偶像だけである。

 ここに物語ろうと試みる人々の生涯は、ほとんど常に永い受苦の歴史であった。
 悲劇的な運命が、彼らの魂を肉体的な又精神的な苦痛、病気や不幸やの鉄床の上で鍛えようと望んだにもせよ、あるいは彼らの同胞らが悩まされている様々の苦痛と屈辱の有様を彼らの心情が感じ識ったことによって引き裂かれ、それゆえに彼らの生活が荒寥たる観を呈したにもせよ、とにかく彼らは試練を日ごとのパンとして食ったのである。
、、、彼らが力強く偉大だったとすれば、それは彼らが不幸を通じて偉大だったからである。だから不幸な人々よ、あまりに嘆くな。人類の最良の人々は不幸な人々とともにいるのだから。

 彼自身その苦しみのただなかにあって祈念したことは、彼自身の実例が他の多くの不幸な人々を支える力となるようにということであり、「「また、人は、自分と同じく不幸な一人の人間が、自然のあらゆる障害にもかかわらず、人間という名に値する一個の人間となるために全力を尽くしたことを識って慰めを感じるがいいがいい」ということであった。
、、、われわれ自身があまりに弱い時には、われわれの頭をしばらく彼らの膝の上にのせて憩わせようではないか。

 わたしも偉大さのない物質主義や利己主義の中で窒息し、死にかかっている心を慰められたいと。
 
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真面を考える。

 あいつ、まともじゃないよな、なんて時々使いますけれど、それでは何を基準に真面とかんがえているのでしょうか。改めて真面の意味を考えるとむずかしい。
辞書などで意味を調べると正面、真面ともかく。まっすぐに向かい合うこと、正しく向かい合うこと、いい加減なところがなく、キチンとしているなどと書かれているのですが。

 何か変だ、何かがおかしい、真面とか健全とかが社会から失われ日常の生活が浸食されているのだろうか、そういう思いにとらわれることが多いのですが、では何をまともじゃないと感じるのかしっかり見極めようとすると簡単ではありません。みなさんはどうでしょうか。
 
 人の心というのは、ほしいままに、赴くままにさせたら、自らを滅ぼしてしまう。だから自分の心を自分で統御しなければならない。心によって悪い行いを抑え、よい行いをするように急げ、善をなすのにのろのろしていたならば、あなたの心は悪いことでいっぱいになってしまいます。
                                
 「心によって悪い行いを抑え、善い行いをするように、善をなすのにのろのろしていたならば、あなたの心は悪いことでいっぱいになってしまう」
やばいですね。いっぱいになってしまいそうだ。

 これは釈迦の言葉だそうですが、仏教を修業する人だからと言って、悪をおさえ善をなしているとばかりはいえないようです。だれにとっても難しいことなのだと思います。意識的に宗教を隠れ蓑にする人だっているのですから。何人といえども少なくとも嘘をついたり、ごまかしたり、逃げたりしてまっすぐに自分と向き合わないのなら自分の心を整えることは難しいのではないかと思います。

 今回の選挙も選挙に至るこの間の政治も変だという感じをわたしはぬぐい切れませんでした。政治の世界から真面がなくなれば、社会も荒れます。どちらが鶏でどちらが卵かわかりませんが。
マスコミをにぎわすニュースに表れる世相は何を物語っているのでしょう。力こそ正義、強くなければ生きられない、負けるな、結果何でもありでは心の中の理想が生きる場を失います。誰もが生存競争の波に飲み込まれて生きることを与儀なくされる。それでも国民の大多数の人々の日々の暮らしは現実そのものですから、健全でなければ保てません。その健全さを自分のなかに育てたい。

 今回の選挙、外交、安全保障、平和、環境、教育の問題についてちょっと考えることです。
 これは命をどう大切に考えるかではないでしょうか。
 自分たちの利益、命だけを考えるか、すべての命を大切に考えるかの分かれ目なのではないでしょうか。
 政党の公約のようなものが語られているようですが、この公約は重要にはおもえません。どの政策を優先するかは私の所に橋を作ってほしいとか新幹線の駅をつくってほしいとかに近い、選挙を意識した人気取りの印象もあるし、議会でしっかり議論すればよいようなことが多い。それが決定的な対立点、相違には思えません。
 もっと重要な対立点は憲法に対する考え方ではないでしょうか。安倍総理が北朝鮮への対応や憲法改正を問うといっているのですから、立憲主義、安全保障、基本的人権と暮らしなどに各政党がどんな考えを持っているかを見極めたいですね。
 







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弱虫の居場所

 弱虫の戯言と思ってください。今回の選挙に思う。二かい目です。
 前回政治嫌いと書きました。どうして政治が嫌いなのかな。政治家の討論などを聞いていると心臓がパクパクしたり、嫌な気分になってどうしても聞きたくなくなります。きっとひどく闘争的なこと、ひどい人は相手の発言に割って入って反論をまくしたてるので、発言している人の言葉がわからなくなったりします。自分の考えをいう、相手の言うことに熱心に耳を傾けてその発言をよく考え、理解しあったうえで意見を言う。何が正しいのか、何が適切なのか、どうしたらよいのか徹底的に考えあう。きっと信頼した友達同士の会話だったらそういうものになるのでしょうが。放送という限られた場ではむずかしいのかもですが。
 弱肉強食、強いものにはまかれろ、力がないのが悪い、そんな世の中で力の強さがはびこるなら力のないものの居場所はないのだろうかと考えています。そんなはずはない。

 今回の選挙をどう考えたらよいのだろうかと弱い頭で一生けん命考えてみました。政治家や政治は嫌いだけれども、政治が自分たちの生活を決めていることは事実なのですから、自分の努力で解決できることは考えたり、努力したりするのですが、それだけですまないこともいっぱいあります。この日本という国に生きているのですから。

 選挙の争点というか、選挙をどう考えて議員を選ぶか、政党を選択するかというとき、考えるときの軸は実はいっぱいあるのですが、それがごちゃごちゃになってわけがわからなくなるってこともありますね。そしてマスコミも彼らが考える情報を流すのですから、頭の中の整理が必要です。

 たくさんある個々の問題についてどう考えるかの前に、政治家の姿勢を考えたいと思います。
国の政治家それも首相であれば、前回紹介した中村文則さんが指摘するように国政についてしっかり説明する態度より、事実より隠蔽、説明より突破、共生より強引な排他の姿勢が日本の政治にとってよいのか、どうかの問題ではないかと思います。
 そういう意味では

立憲政治の根幹を巡る問題
 

が今回の選挙の第一争点ではないでしょうか。中村文則さんが、「説明する気持ちのない総理、共生より排除の姿勢を論より感情で支持すること」が時代の空気になることを心配していることに共感します。

 この後、安全保障の問題、環境など個々について考えてみたいと思います。

   

 

 

 
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とってつけたような。 今回の衆議院解散総選挙をどう考えるか。

 政治嫌いなのになぜ政治的な記事の更新をするのかなと自分でも思います。ある意味政治嫌いだからこそ更新せずにいられないのかもしれません。

 安倍総理がこの時期に衆議院解散総選挙に出た理由については以前思うことを書いたのですが、その後小池さんが希望の党を立ち上げ、民進党の解党など目まぐるしい混沌とした政界の動きは有権者である国民は不在でただただ呆気に取られている感じです。政治家に呆気に取られているけれど、国民には真剣にならなければならない問題が山積しているのに。と言っても、国民は出されたメニューを一方的に受け身に考えることに慣れすぎているように思います。

 小池さんは選挙には出馬せず、政権選択選挙と言いながらも首相としての候補を立て政策をしめしてたたかうということはしないようです。
 小池さんの考えていることは次第にはっきりしてきたと思います。
 最初に野党第一党の民進党を解体することです。次に政権交代をと考えて希望の党に合流した民主党議員に憲法改正に賛成の踏み絵を踏ませたうえで、圧倒的な風が吹かないで勝ち目がない場合は選挙後に自公とその他の勢力と政権移行をねらうのではないでしょうか。

 小池さんは以前から策士といわれているようですが、ずいぶんあざといやり方をしますね。政治家とはこんなものかと一番期待していた政治家像から離れた感じです。最初から民進党の議員には考えを明確にしたうえで合流すべきだったのではないでしょうか。

 「他党が言えなかった思い切った公約を盛り込んだ」と政策発表にあたってコメントしていますが、選挙前の公約くらい何度も反故にされ軽い、意味もないくらいなものなのに有権者はそれを信じて投票してきたのは悲しいですね。今回の選挙は世界的な先の見えない中での選挙ですから、しっかり国民の一人として自分たちの生活、将来を世界と日本の将来として考えたいなと思います。

 作家中村文則さんが寄稿(朝日新聞10月6日)で「シンプルな感情」で時代の空気と政治がリンクしてしまう危うさを指摘しています。
戦争と平和の問題、安全保障、経済と国民生活、教育、環境問題、どれひとつをとっても簡単なものはない。本当の問題解決はながい時間がかかること、議論を繰り返しながら熟慮して進むことが必要です。国民が考えないで政治家任せなら容易に戦前と同じになることも無きにしも非ずではないかと思います。








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人がいう、超非現実的理想主主義と現実主義 おもうこと

 安倍総理が臨時国会での冒頭解散を表明しました。なんでも「国難突破解散」なのだとか。
超気分が落ち込みます。なぜ今解散しなければならないのか理由がない総選挙でどれだけの税金が使われるというのでしょうか。
 国難を作っているのはあなたではないですかと言いたい。
今度の突然の解散には政権が考える隠された理由があると思います。一つは第二次安倍内閣の成立いらいの安倍政権の政策への疑問、特に国政の私物化や国会軽視や憲法破壊などへの疑問、不信をかわさなければならない状況ともうひとつはアメリカと緊密な連携の上で、日本がアメリカの同盟国として戦争に参加できる(憲法改正にもっていくことを目指したものと私は思います。二番目の理由のほうが解散をきめた理由かもしれない。北朝鮮との緊張と野党の力不足という今をおいて一挙に進める好機はないと日米の考えが一致したのではないでしょうか。
 日本がそうなってほしいアメリカの理由はどこにあるのか。日本がこれからアジアや世界とどういう付き合いをしていったらよいのかという課題とともにしっかりみていきたいところですね。
正月明けあたりが、、、と言われている北朝鮮問題情勢も日米の考えの上で決められていると思います。
 国民は黙ってみているしかできないということは悲しいことですが遠回りでも時間がかかる、国民がしっかり見て判断する力をもつしかないのかもと思います。
 希望が日本中にいきわたる、希望の党、美しい日本なんと感覚的は標語があふれているのかと思います。情感に流されるだけにとどまる国民性の自分の感性の中にもっと物事の必然的理を見ようとする努力が必要なのではと思います。

 とても個人的な意見なのですがよく戦争放棄は理想主義にすぎないといわれますが、それでは戦争は認められるのですかと。どこの国と組もうが戦争は絶対にしてはいけないということをはっきり目標に掲げるべきと私は思っています。
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Y子 さんへの手紙

 Y子さん、やっぱりあなたへはよそよそしく改まった「さん」ではなく「ちゃん」になってしまうのですが。
先頃はとてもお世話になりました。
 あれから夏を越してすでに三か月が過ぎようとしているのですね。いよいよ秋も本格的になりましたね。この間すっかりご無沙汰していますけれどお元気ですか。秋になって農作業も忙しくなっているでしょうか。私は割合元気です。
 あの時は墓参りもできてとても嬉しかったです。もしO先生がご健在なら二人で訪ねたいところでしたね。先生にお聞きしたいことがたくさんあるのですが、もうかないませんね。
それにしてもたくさん思い出ばなしをして、貴重な写真をたくさん見せていただいてとても嬉しかったり懐かしかったりでした。ところで出版のほうはその後どうなっていますか。かなり進んでいることでしょうね。
 今散歩と読書を兼ねた買い物から帰ってきたところです。最近最も近いスーパーが閉店になったので、片道二十分以上歩くところばかりになりました。健康のための散歩にはちょうど良い距離ですが、ちょっとなにか足りないからと気軽に出るわけにはいかなくなりました。
 佐藤愛子さんの「晩鐘」を今読んでいる途中です。まだ3分の2くらいのところに来たくらいで、どういう最後になるのか楽しみ、それにとても面白いです。
 正確が好き。
 生きることの辛さに泣いたことがあるか。
 真に絶望しているときには人に相談などできない。ひとに訴えたところで解決にはならない。ただ相手を困らせるだけ」
 こんな重いセリフが出てきます。

 この小説は私の夫であったあなたは、いったい何者だったのですかという問いではじまります。
 今日は倒産し、親戚から見捨てられ尾羽打枯れした素浪人となった夫(すでに離婚している夫)が書いている文章を前にあなたは何者なのか分かりたいと改めて主人公が思うところをすぎました。いよいよ引き込まれます。主人公の女性作家の鋭い目が混沌とした人生の深みに分け入っていきます。
それは単なる個人の人生だけではない時代と人間と生きるということ、人間とは?理想や現実、生きる目的と様々なことを読者に考えさせます。
わたしもテーマが重なる部分を感じながら読みました。もちろん生活の在りようは全く違うのですが、あなたも少し知っているように私もいつ爆発するかわからないようなものを抱えて生きてきたからです。
 人生について著者は最後にどういう答えを出すでしょうか。この小説を読みながら、考えたことは理想と現実とともに善や悪とはなにかについてです。それは今という時代、私にはとても心がつぶれそうな時代とも深く関係することと思っています。
 先生はお坊さんから教師に職業を変えられましたね。私は今とても仏教について信仰としてというよりお釈迦様の哲学に関心を持っています。先生がいらっしゃったらと思うのはそのこともあるからです。
 昨日東京に出てきてから学校で一緒だった友人と会いました。私がダンスをするようになってとても考えられないと驚いた友人の一人です。あなただって本当に想像できなかったと思うでしょうが、その彼女が七十過ぎたくらいでダンスを始めたのですよ。
私に踊れるのに踊れない人なんていないとわたしが自信をもって言ったので、彼女も始めたのです。私はもう踊らないと思うので、衣装の一部を使えるならと使ってもらうことにしたのです。今や彼女はすっかり無駄なぜい肉もなくすっきりして、身長も5ミリ伸びたなんていいながら、年齢なんて問題ではないという感じです。それに引き換え私はしっかり年を取りつつあるので反省してしまいます。
 もう少し元気でいなければと思っているので、夕暮れがせまってきましたからこれから二度目の散歩に出ます。又手紙を書きます。

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自我のゆくえ 続き

 自分を問うということは自分と周囲あるいは社会とのかかわりを問うことでもある。自分に始まって自分だけで完結することではない.。
それでは自分も見えないし自分が何者かもはっきりしない。
 最近よく耳にする言葉。セルフネグレクトという言葉です。自分にさえ関心を持たなくなることが進むことのようです。
 状況が自分の力を超えて、それに見合う意欲がなくなったり無力感が強くなるのでしょうか。これは人間破壊ではないかと思います。人間破壊ではないかと思うようなことが政治の世界でも社会の事件や家族などでもたくさんある。としたら、社会がもっと個人に合わせて添う社会であることを望みたいが、そうはならないでどんどん「人」を置き去りにして進むようです。
 個人を取り巻く世界が個人と関係なくあるとするなら、それでは逆に個人が自己の世界の選択を明確にし、自分と社会との関係を選択していく以外にないのではと思います。
 「サイの角のように一人歩め」という言葉の意味をネットで検索していたところ、アリイトの作業机というブログでこんな言葉が目にとまりました。

 ---資本主義によって半ば強制的に「独り」で歩む世界が作られつつあるのではないか。それに対置させた考え方が必要。はるか2500年前にブッダが用意しておいたなんて考えてみるのも面白いような気がしました。


 世界の大きな仕組みが、目に見えない大きな力で巧妙に作られているのだとしたら?
 
「生まれた以上、生きていかねばならない。」
 たとえ苦しい状況であってもなぜ生きなければならないのですかという問いにはそれが答えなのだと思います。社会に取り込まれるだけでなく、自分の側から問いなおし、選択することが必要なのだと思います。

 国会の冒頭解散、総選挙が現実味をおびているようです。現政権やその補完勢力から見れば今が絶好のチャンス、じり貧を防ぐチャンスと思うのは理解できます。それを善いと思っているわけではなくとんでもないと思いますが、先伸ばししても政権浮揚につながることはなく、ますます問題は深刻な状況になるのではと思います。なぜなら問題にたいする本当の対策は進んでいないし、議論も深めていませんから当然です。仕事人内閣が聞いて呆れてしまいます。
国民としては真剣な討議を望みたいところですが、もし解散になるとしたら、党利党略だけを考える政権への厳しい審判と真剣に国政を論議できる議員を国会に送る機会にすべきではないでしょうか。






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自我の行方

 以前に一度ふれたことがあるのですが、本の処分をしている中で、「愛するということ、愛されるということ」という本を読みなおしていました。著者はレオ・バスカリア。草柳大蔵訳でアメリカでベストセラーになった本です。サブタイトルに互いに分かち合える”ほんものの人生をさがしにーーーという言葉があります。この本、BOOKOFFに出そうかなどと思っていたのですが、すっかり読み直すことになってしまいました。

 
 マスコミで報道されるような様々な問題、国際問題でも事件でもコミュニケイションがなかったり成立しなかったりだと感じることがすくなくありません。人間は人として基本的に同じだと私は思っているのですが、どうしてこんなに対話が、コミュニケイションが難しいのか、この疑問を考えることができる一冊でした。

 ーーーー 私たちは、人とかかわることがますます下手になってきている。「人付き合いはできるだけ避けなさい。何事にも無関心でいることです。」痛みを味わいたくない人にはぴったりの処方箋だ。
人々の関心が、自立や個人の自由といったことにむけられているのはたしかのようです。ーーー


 著者のこのような指摘、他人への関心が少なくなり、ますます孤独になっている現代人への警鐘でしょう。でもなぜそうなっていくのでしょう。
 現代社会を分析していかなければならないと思います。誰も自ら自分だけを考えて社会との関係を断って孤独でいたいとは思わないと思いますが、一人でいたいと思うくらい、厄介で迷惑な関係であることもあります。
 特に最近の核戦争を巡る対立くらい迷惑な話はありません。誰とも、どこの国とも核戦争はもとより戦争などしたくないし、敵だとも思わないのになぜ戦争しなくちゃならないのか、生活も犠牲にして軍備を強化したり、核兵器まで持たなくちゃならないのかと思います。

 人生において大切なことのひとつをこの本で教えてもらったように思いますが生きることは人とのかかわりがどうかにかかっているようです。一人で生きているのではないから、他人を知ること、自分を知ること、他人を大切にすること、自分を尊重することを常に心にとめていたいと思います。
子どもたちが小学校高学年から中学に進むにつれて親として悩んだり考えたりすることもふえて、一番難しいと思ったことが話し合うことでした。言いたいことが言えない、言うべきだと思うことが言えない。いまでもそういうときがあります。相手の気持ちが見えない、会話が成立しない。人並にいろいろ悩んでいた時出合った本が秋山さと子さんの「母と子の深層」やA·S ニイルの「問題の子」などでした。
 本当の会話が難しいのはなぜなのか。本当の会話を阻むものはなんなのか。自分の本当の気持ちだと思うことを相手に伝えること、相手からも本当の気持ちを聞くことができて実際を確認できることは人と人の関係の一歩なのだと思います。そのためにはあらゆる先入観をもたず、ともかく相手を知ろうとする関心、聞く耳がなくてはならない。
 世界も人生も誤解にみちています。ニイルは子どもとの接し方にあたって、まず先入観を持たないでありのままの子どもを観察してほしいといいました。そして好きや嫌いの愛好の意味の愛ではなく、関心の意味の愛を持つことを基本にしました。
 これは子どもとのことばかりでなく、同じことが人と人、国や民族がちがうような関係においても同じことがいえるのではないでしょうか。
 同じ人、人類としての相手への関心、聞く耳をもって実際を知ること、強固な先入観や自ら自分のなかに敵をつくる自己愛を離れて、本当の相手の心を知ること、そこまで人間の知性が進んでいなければなりません。それとも自分の利益や先入観や憶測という誤解から危険な火遊びをしての結果が出ないとわからないとでもいうのでしようか。人間は何度もその経験と過ちを繰り返してきたのですが。


 自分を考えたとき、「サイの角のように一人歩め」というお釈迦様の言葉について考えます。
振り回されないで生きる。それ以外にないといまは思っています。 
 
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私には理解できない、なぜ?

 厳しい生活実態、詳しいことを書くつもりはないのですが真面目に働いて子どもを育てていくのが難しい労働の実態、個人が自分について知っているだけで、政治家や企業経営者にわかっているでしょうか。生活して、子供を育てることができる賃金を保証すべきでしょう。それができていないことを政府はどれだけ知っていますか。天井知らずの防衛予算のためにどれだけの税金をつかうことになるのですか。人を殺しあう設備のために、未来の子らを殺すのでしょうか。防衛の名のもとに。
 彼らには自分たちにとっての戦いしか目にはいらないのでしょう。そのために国の予算をつぎ込む必要があるのです。
 貧困が子どもにどんな影を作るか、大人は理解してほしい。
 
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