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表層を追いかけるだけでは済まない時代?

 今この一瞬だけが現実なのだと思う。この一瞬は無、ゼロから、未来へも過去にもつながる。ゼロになるということはなんと身が軽くなることだろうか。これまでに得たすべてから離れて無になり、改めて再検討すること。自分にとらえることができる範囲、経験の中ですることでしかないことなのだが、とらえ直す作業は簡単ではない。人間は過去の延長上でしか考えていないことが多いから、自分をゼロにする作業は普通はほとんどしていない。亀井勝一郎さんという人が絶望したことのない人間は信用できないと言ったと若いころ、ある知人から聞いたことがあってそのときとても心に残った一言だった。今の時期になっても無からの再生を繰り返すことは重要な意味があるのだと思う。
 人は生まれてきたら誰でも幸せでありたいと願うと思うけれども(そうでない人もあるのかもしれないがそういう人に実際あったことはない)生きることは大変だというのが実際ではないだろうか。そこで生まれた疑問を掘り下げていくとどこかで暗い闇に行きついてしまったりする。人間への信頼を失わないで闇を掘り下げることは難しい。自分を壊さないためには強さとバランスが欠かせないから、自分の限界を知ることはとても大切だと思う。
 現実の必要に迫られないのにではなく、否応のない現実に攻められて考えることを余儀なくされてきたから暗い闇にぶつかることがたびたびだった。釈迦の本に出会って、それまでよりすこし違った考え方ができるようになったと思うことがある。
 この数日、円地文子さんの「食卓のない家」を読んでいた。かなり熱中していたので他のことがおろそかになってしまった。
 「倫理21」の中で、柄谷行人氏が親の責任を問う日本の特殊性という章で円地文子さんの「食卓のない家」に触れているところがあってずっとこの小説を読んでみたいと思っていた。
この小説はフィクションだが、1970年安保の前夜に起こった学園紛争の嵐が終局を迎え、 その後尖鋭化した世界同時革命をスローガンにする極左グループが山岳アジトを転々としながら、最後に浅間山荘に人質をとって立てこもり銃撃戦を繰り返した浅間山荘事件に材をとっている。
 円地さんの小説はたくさんの重要なテーマを含んでいる。その時代の顔は問題の根の深さにおいて今日につながっていると思う。60年安保、70年安保の問題はなんだったのか。学生運動の終焉、その後に来る高度経済成長や労働運動社会運動の衰退と今日の時代が抱える問題はどのような推移をたどったのか。
 1970年代の学生運動の意味、その中の一部のグループが起こした凄惨な、人間のすることだろうかと思うような集団リンチ事件はなぜ起きたのか、それらはまだ本当には解明されていないのではと思う。円地さんは事件にかかわった70年代の若者を生い立った家族の中に位置つけて、 個人と社会という一様ではない、捉えがたい問題と時代の特徴に迫る読み応えのある作品にしていると思いました。
 浅間山荘事件にかかわった連合赤軍はその後今回テロ事件が起こったダッカで飛行機乗っ取り事件で人質との交換という事件を起こしている。
 現代社会は1970年代よりさらに地球は一つになったかのように国際的になり、すべてが一国ではすまなくなっている側面がある。しかし、貧富の格差、差別、暴力、将来への絶望など世界的な問題になっているけれどもどうしたらこういう状況を変えることができるのかを考えたとき、あくまで一より始めて、一の位置をしっかり確認することから始めたいなと思う。暴力も戦争も望まない、人を殺すことも殺させることもしたくない、ともに生きることができる、ここから始めたいと思う。
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コメント 3

えんや

~暴力も戦争も望まない、人を殺すことも殺させることもしたくない、ともに生きることができる、ここから始めたいと思う。~

同感です、 世の中気持ちのみで生きられません。




by えんや (2016-07-04 20:08) 

majyo

亀井勝一郎さんに 私は信用されたようです
絶望は多かった・・・・終わっても次の絶望が・・・

>自分の限界を知ることはとても大切だと思う。
これ、よく話す事ですが、大きな目標ばかり持っても達成できないと
それは、絶望につながります
小さな目標を積み重ねながら、どこかでジ・エンド
己を知ると言う事でしょうか?
浅間山荘事件は、今もよくわかりません
しかし一の位置を決め、そこから始めるは わかる気がします

by majyo (2016-07-04 21:30) 

風船かずら

えんや様気持ちだけで生きられない。私もそう思います。日々が現実的な行動だと思います。ただ行動は狭い意味だけではないと思います。
majyo様、自分を知るということは限界を知って終わるということではありません。その時点の自分をよく知るという意味でどこまでも終わりはないと思っています。自分の現実から始めるしかないのですよね。表現は一人ひとりちがうけれど考えていることは共通していると思っています。
by 風船かずら (2016-07-04 23:06) 

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