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今朝の天声人語から思うこと [雑感]

 河上肇さんが朝日新聞に貧乏物語を連載初めてちょうど100年になるそうです。私は貧乏物語を読んでいませんが、天声人語で次のようなことが書かれていました。

 「毎日規則正しく働いているのに、ただ賃金が少ないために生活に必要なものが手に入らない。きわめてわずかな人々の手に巨万の富が集中されつつある。」

 国家有用の材となりうる若者が、貧乏な家庭に生まれたがゆえに十分な教育を受けられないことを河上は嘆いた。学問は決して「過分なぜいたく」ではないのだと。河上は資産家や実業家に人を思いやる倫理を求めた。
 そして天声人語は現代の教育格差に重なる話ではないか、世の中が100年前に似てきたとすれば、あまりに悲しいと。
 

 子供の貧困、親から子への「貧困の世襲化」は始まっています。そして広まってもいます。私は一億総中流と言われる時代に働いていました。あなたは中流ですかという意識調査がありました。大多数の人がはいといい、人々の意識はマイホームへと移っていったように思います。私はそのときなぜか危うい気がしました。失われた10年という言葉を耳にするようになってから30年、先日、友人がこの30年であまり変わったと思えないのだけれどと話し始めたので、私はとても変わった、すごい変わりようだと思うといいました。友人は30年前は多分10代ではないかと思いますので、おそらく物を考える頃はその中にいたのだと思います。
 この30年の科学技術、機械文明の発達はとどまるところがないものだと思います。でもと私は思ってしまいます。なぜか悲しみが積みあがってしまうのです。文明は人間を幸福にしているのだろうかと。もちろん両面があります。富の一極集中、紛争と戦争と対立、分断と憎しみの連鎖、地球環境、自然の破壊の進行だったように思えてしまうのです。共生、和解、平和への努力は続けられながらも。
 
 すべての人にとって、人間の可能性を奪うものを広い視点で考えたいと思います。