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いるとあるの違い [雑感]

 何に書いてあったのか、はっきりしなくなっているのですがいるとあるは違うと書かれているのを読んで、居ると在るの違いについて時々考えていました。そして最近報道などを身ながら感じたことです。
例えば公園に何人かの子供がいたとしましょう。三人とかあるいは五人とか数えることができます。しかし三人なり五人なりそこにいる人数は分かっても一人ひとりが居る、存在しているその中身の在りようまでは分かりません。
意識し可視化できる場合のことは「ある」で、存在しているらしいけれども意識したり認識にまでたどり着かないものを「いる」と考えることもできるのでしょうか。目で確認できる、あるいは表面的に見えるものは誰にも分るのだけれども、表側から見えるものだけではない見えないものがこの世界には多く、この社会を作り上げているものなのでしょう。

 さきごろ、原発事故の被害によって福島を離れなければならなかった小学生が移住先の同級生の何人かから賠償金があるだろうとお金を出させられていたという事件がありました。この事件について横浜市の教育長がお金は生徒が自分で納得して提供していたのだからいじめではないというコメントを出したということが報道されていました。この教育長は表面だけをみていると思いました。このように表れている表だけ、その一部分で物事を判断することが教育の重要な仕事をしている人にあるのはとても驚きでした。いや社会のいろいろなところにこうした目に見えるものしか見ない傾向は広がっているのかもしれません。
 これは何を意味しているのでしょうか。

 トランプアメリカ大統領の就任から、人類終末までの時計の残り時間が3分から2分30秒にかきかえられました。トランプ大統領が核兵器の使用も辞さないという姿勢を示したこと、地球温暖化を抑える政策に同意しないと表明したことなどによって、終末までの時間が短くなったと考えられたようです。
 1987年、米ソ冷戦下で核兵器が使用されてはならないと恐れた当時の世界の指導者によって中距離核戦力全廃条約が調印されましたが、その時のソ連共産党書記長だったゴルバチョフ氏が、今年になって「政治の軍事化、新たな軍拡競争」に警鐘をならしています。
 
 危機はなぜ生みだされるのか、どうしたらこうした危険な状況を変えることができるのでしょう。誰もが一番苦慮しているのだと思います。軍事予算を増やし、力による抑え込み、危険の防止策も過激派ISのテロ、欧州の難民問題、格差の拡大と貧困などの解決に無力なことを示しています。しかしその政策が唯一有効な方法だと信じたいと思う人は少なくないのかもしれません。

 もともとなぜ危機は生まれるのでしょう。人と人がなぜ危険なのか、それをはっきり知ることから始めれば問題の解決は近くなるのかもしれないと思います。
誰も命を持つものは生命本能ともいうべき生存本能があり、自分の命を大切に思い、自分がかわいい、だからこの世界に生きる場所がなく否定や排除されることはその命にとっての危機です。自分の命がかわいいように他人も自分の命がかわいいのです。だから自分を愛するように他人も愛せば、自分の事情、相手にも事情があること、一緒に解決しようとするなら危険な関係ではなくなるはずです。といっても様々な条件、過去に規定されている人間は簡単ではないのですね。一人、二人と頭数は数えられてもその人の中身、こころまでは分からない、まして本人でも意識しない無意識の世界や実存の状況には届かない。
 でも終末までの時間の針をもどすためには危機がどこから生まれるのか、なぜ生まれるのかについてもっと真剣に考えてみなければならないのだと思います。