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再びニイルにもどって考えてみる。理想と現実の間

 
 
   ニイル著作集6 問題の家庭から思うこと

 ニイルは人間の問題、世界の問題を問題の子の教育という長い間の実践とその観察から、今日の不安に満ちた社会を根本的に考察した人だと思います。
 イギリスのサマーヒルでの生涯を通した問題を持つ子を作らない教育実践で、教育のあらゆる方面にわたって問題の背後に何があるかを解明しました。そして子供たちの良き発達のために何をすべきか、新しい子供の取り扱いについて提言しました。問題の子とは不幸な子、問題を抱えた子どもという意味でしょうか。ニイルは問題を持つ子を作らない教育をとおして、闘争と破壊、疾病、戦争の絶えることのない世界から、真に平和で幸福な世界を築くことができると確信する卓抜な世界観をもつ偉大な思想家でもありました。

 今、日本では憲法改正の問題、喫緊のところでは共謀罪を巡る問題が議論されているのですが、根本にある問題に目を届かせることがおろそかになっているのではないかという疑問を持ちます。
 たとえば共謀罪ですが、犯罪になる前の計画、相談、準備の段階で取り締まるという法案ですが、この法律が適用される犯罪の範囲が明確ではなく(私などは読んでもいないのですが)、それが計画、準備段階の取り締まりだというのですから、普段からの監視が必要になります。
盗聴や市民からの通報、密告、通信傍受、車の移動監視などが行われ、取り締まる側の職権乱用や恣意的操作によって普通に暮らす人の基本的人権や思想信条の自由や表現の自由などまで取り締まりの対象にされ侵害される可能性も心配されています。もしわたしが今の政府の方向は危険だと思うと発言したとしたら、国家転覆の危険性ありと戦前そうだったように監視の対象になるのでしょうか。
 犯罪に脅かされる現実があり、安心して日常生活をおくることができないようになっていることも実際ですから、犯罪の取り締まりを強化してほしい、安心して生活できる社会になってほしいと思うのは市民の願いです。
 
 憲法改正の問題でも戦後の民主主義、基本的人権の尊重などによってあまりに自由や人権が尊重された結果利己主義がはびこってしまった、日本の心が失われているので日本の伝統文化に立ち返るべきという考えが日本会議や自民党、一部の政党にもつよくなっています。

 又日本の安全保障をめぐる問題では、中国や韓国、北朝鮮との関係を巡って安全保障環境が変化していると一部では憂慮する声がつよくなっています。そのために日本も軍備を増強して防衛すべきと。

 これらのなかなか解決の難しいい悩ましい問題の基本問題はなんでしょうか。

 理想と現実の間

 人間であることと人と人の間。人の住む世界と国と国の間  ということでしょうか。

 わたしにはニイルはこれらのことの根本に立ち返って考えたように思えるのですが。



 そのニイルの主張の一部から、
  子どもの困った行動を起こすコンプレックスの原因を知るだけでは子どもをよくすることはできない。この事実を知るためには私にとって長い年月を要した。子どもを直すということだけが教育者としての重要な任務ではない。教育者の仕事は子どもを直すということなどが必要のない新しい時代を生み出すことである。

 「子どもを直すということなど必要のない新しい世界」とは、ニイルはどういう世界をイメージしたのでしょう。ここにニイルが単に教育者にとどまらない卓越した世界観を持つ思想家であることがしめされているように思います。

 コンプレックスという言葉を知った初めのころ、コンプレックスというのは劣等感という意味と思っていたのですが、そうではなく無意識下の、あるいは一部意識された意識の塊のようなものという意味のようだと分かりました。劣等感とか、ある種の恐怖とか不安とか、先入観、偏見などこれらは人を左右しているコンプレックスということができるのだろうと思います。
 個人にとって重要な意味をもってその人を動かしている無意識下の塊はその人を苦しめたり、思わぬ方向につれていってしまったりしますから、自分をよく知るということはこうした苦しみをよく知ること、客観的に物事をとらえる訓練によってコンプレックスから解放される、あるいは冷静な対処の仕方ができるようになるということなのかと思います。
 コンプレックスは青年でも老齢でも年齢を問いませんが、子供は自分で自分の心を表現したり理解したりできませんから、大人が理解する必要があります。ニイルがこどもの困った行動を起こすコンプレックスの原因を知ってそれを取り去ってやることといっているのはそのためです。

            次回に続けます。